生きるとは妥協することーメイ首相の辞任演説ー
5月24日、メイ首相がついに辞任を表明した。
その辞任演説の中で、これまで3年間に行ったきた政策、そして何より、メイ首相が取り組んだブレキジットについても語られた。
メイ首相は就任して以来、EUとの交渉を行ない、なんとか協定案をまとめあげたものの、議会、特に身内の保守党の支持をまとめ切れずに、3度にわたって否決されるという、前代未聞の事態を引き起こしていた。
先週火曜日には、4度目の議会採決に向けて、なんと
保守党内から批判が高まり、ついに辞任せざるをえない状況となってしまった。
こうなってみると、メイ首相は、国内政局を収めることができず、イギリス国内は離脱派と残留派が真っ二つの状況となってしまっている。その意味ではメイ首相が指導力不足であって、首相として力不足だったといわざるを得ない。
そもそも、メイ首相自身もEU離脱に理解を示していたとも言われるが、キャメロン首相の要請もあって、残留支持に動いた。が、積極的にキャンペーン活動をしたわけではなく、「隠れ離脱派」とも言われる微妙な立場であった。
ただ、それゆえに、離脱派、残留派、双方から受け入れやすいというところで、首相につけたという面もあった。
一方で、内務大臣として実務能力は高く評価されており、10歳も年下、政治家としても後輩のキャメロン首相によく仕え、内閣からの信頼も厚かったという。
内閣発足にあたっては、離脱派の重鎮のデービスを離脱担当大臣、かつ、離脱派のリーダー、ボリスジョンソンを外務大臣に据えるというサプライズで、また財務大臣は残留派のハモンドを任命し、バランスをとる形となったが、
結局は、内閣のメンバーがそれぞれ好き勝手に動き、また最後は辞任ドミノとなり機能不全になってしまった。
https://www.chroniclelive.co.uk/news/uk-news/theresa-may-resigns-news-live-16323635
メイ首相は辞任演説の中で、
Never forget that compromise is not a dirty word.
Life depends on compromise
(妥協は決して汚い言葉ではないことは忘れるな。
生きるとは、妥協することだ。)
という言葉を残し、後任にブレクジットの行く先を託した。
ともあれ、今の状況では誰がやっても困難である状態であることは変わりない。
果たして、次の首相は誰になるのか。イギリス保守党の次期党首選から目が離せない。
「これほどの衝撃を受けたことはなかった」日本とイギリスの戦争
8月15日、73回目の終戦記念日を迎える。あまり取り上げられない日本とイギリスの関係について。
http://www.sankei.com/west/photos/150515/wst1505150001-p4.html
マレー沖海戦
先の大戦について、特に1941年以降は、真珠湾攻撃、東京大空襲、硫黄島の戦い、沖縄戦、広島、長崎の原爆、などいずれも、日本とアメリカとの戦いが注目されることが多い。
しかし、日本とイギリスも激烈な戦いを繰り広げていた。
その典型が、マレー沖海戦である。
1941年12月、日本の勢力拡大を阻止すべく、イギリス海軍はマレーへと向かう。
そのイギリス艦隊を打ち破った戦いである。
撃沈したのは、当時の最新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」。
https://richardedwards.info/2014/12/10/118/
世界を支配した「大英帝国」の象徴ともいえる2隻の軍艦をわずか数時間で、海に沈めた日本軍。
このことにびっくり仰天したのが、当時の首相チャーチル。
https://therake.com/stories/style/the-wardrobe-winston-churchill/
チャーチルの落胆
まさか日本軍に壊滅させられるなど、予想もしていなかったチャーチルは、このときばかりは、驚き、落胆。起き上がれなくなるほどに…。
“In all the war I never received a more direct shock. As I turned over and twisted in bed the full horror sank in upon me.” (全ての期間を通して、これほどの衝撃を受けたことはなかった。)
と言わしめたほどの、イギリスの大敗北であった。
まさに「大英帝国の終わりの始まり」を象徴するような戦い。
ほかにも、日英の大戦時の関係としては、「アーロン収容所」などがあります。
イギリスに来る方は、ご一読を。
平成最後の終戦記念日
さて今回が、平成最後の終戦記念日。
先の大戦で犠牲となった日本ならびに全ての国の犠牲者に心から哀悼の誠を捧げたいと思います。
イギリスが燃えています!?
7月26日、朝からイギリス全土が猛暑に見舞われている。ロンドンで33度を記録。
Today is going to be the hottest day so far this summer - Huddersfield Examiner
イギリスはヨーロッパの中でも、涼しいというイメージがあり、実際これまでそうだったのだが、今日に限っては、ヨーロッパで1番の暑さとのこと。
イングランド中部など一部地域では、38度を越える見込みで、
イギリスの観測史上最高値を記録する可能性も指摘されている。
あまりの暑さに、イギリスの気象庁は「外出を控える」ようにと呼び掛けている。夏休みを迎える旅行業界からは反発の声も。
https://www.standard.co.uk/topic/weather
ほんと30度超えすら珍しいイギリス人にとっては、ほんとに厳しい。何より冷房設備がほぼ皆無で、夏への備えができていない…。
特に大変なのが地下鉄で、冷房設備のない地下で、熱がこもって大変…。
この暑さ、いつまで続くんでしょうか…。ビーチは人が一杯。
夏にヨーロッパにお越しの際は、暑さ対策にご注意を。
保守ゆえに、同姓婚に賛成!? ーイギリスとLGBTー
日本の国会議員の発言によって、にわかに問われる政治家と、LGBT施策のありかた。関連して、イギリスにおけるLGBT、とくにパートナシップ政策について簡単に整理。
Gay campaigners celebrate in London. - ABC News (Australian Broadcasting Corporation)
キャメロン政権による同姓婚合法化
イギリスにおける同性愛者の権利保護は、決して平坦な道ではなかった。
戦後しばらくの間は、イギリスも他の国々と同様、同性愛は刑事罰の対象であった。
それが完全に削除されたのが、1982年。
そして、カップルの権利は、2005 年のブレア政権が同性カップルを公的に認める
シビルパートナーシップ制度の導入したことで一定の保障を得る。
この制度は、社会保障制度や近親者と ての権利を幅広く認めるものである。
しかしながら、同姓婚を認めるか否かという点については、イギリス社会は大きく割れて、なかなか議論が進まなかった。そんななか誕生したのが、保守党のキャメロン政権。
David Cameron's Conservative party conference speech in full | Politics | The Guardian
同姓婚を認めるにあたって、なにより反対の声が大きかったのが、身内の保守党議員たち。それも、保守党議員の半数以上が反対の姿勢。
さらに、イギリスにおいてはいまだに影響力が大きい宗教保守派の猛烈の反対。おまけに、キャメロン政権の閣僚からも反対の声がでるほどで、さすがに実現は難しいと思われた。
しかし、キャメロンは粘り強く世論に訴えかけた。
なんといってもハイライトは、
「私は保守党であるがゆえに、同姓婚に賛成する (‘I Support Gay Marriage Because I Am A Conservative’)」
といったくだり。スピーチの内容はこちら。
そして2013年に行われた投票。自主投票という形になった保守党は、反対者が続出。
およそ半数が反対、棄権することとなった。
しかし、野党、労働党の多くが賛成にまわったことで、同性婚を認める法案は成立した。
法案においては、宗教施設でも同性カップルの挙式や、既婚カップルの性別変更を望む場合の措置なども定められた。
EU離脱問題で、低い評価をされることがおおいキャメロンも、この点に関しては、「よくやってくれた!」というイギリス国民の声も多い。間違いなく、キャメロン政権の功績の一つと言える。
LGBTについての政策が重要であるのは、単に当事者のためというのではなく、どういう社会を築くのか、まさに政治の根幹に関わるものだからである。
「少数派が生きやすい社会は、だれもが暮らしやすい社会」
キャメロンの奮闘から得られるものは多い。
ホグワーツ行きの列車は、9と3/4番線!?
イギリスといえば、ハリーポッターを思い浮かべる人も多いはず。
今日はそのロケ地で有名なキングスクロス駅について。
Behind the scenes: Platform nine and three-quarters - Pottermore
キングスクロス駅
キングス クロス駅は、ロンドンの中心部に位置する、主要駅の一つ。
イギリス北部への国内線はもちろん、その隣にはユーロスターの終着駅も接続されている。それ以上に有名なのは、
9と4分の3番線!!
ファンの聖地
このロケ地では、記念写真を撮影するために常に長蛇の列…。
場合によっては、1時間半以上待つことも…。ちなみに私は並んだことはないです。
そして、その隣には、ハリーポッターのショップも。
色々なグッズが集まっています。
ちなみに、イギリス各地にはハリーポッターのロケ地があちこちにあり、
ホグワーツ魔法学校のロケ地は、ダラムという北東イングランドの都市にあります。
キングスクロス駅からは、列車で3時間半ほど。
また、ここまでくれば、スコットランドはすぐ近く。
その州都エディンバラには、J・K・ローリングが執筆する際に通っていたカフェもあります。
あと、オックスフォードにもロケ地はあります。オックスフォード周遊についての記事も合わせてどうぞ。
ハリーポッターファンは、キングスクロス駅を起点に、あちこち周ることになる思います。駅は新しく、日本料理のレストランもあったりと、ゆったり時間を過ごせます。
ロンドンの観光はみどころが多すぎて、1度ではとても無理。それに地下鉄などの交通機関についても、色々とあるので、それはまたの機会に整理してみようと思います。
勝利をもたらしたのは多様性!? ーワールドカップ閉幕ー
フランスがクロアチアを4-2で破って、98年大会以来、20年ぶりの優勝を決めた。
と同時に、1ヵ月に渡って祭典も終わりを迎える。
Emmanuel Macron dans tous ses états pendant France-Croatie
大健闘の日本代表
さてロシア大会は、日本で観戦している人にとって、なかなか時差がしんどい大会だったろう。しかし、本当に良く戦ってくれたと思う。
まさかのPKから、きっちりと勝ち切ったコロンビア戦。
本田のゴールで引き分けに持ち込んだセネガル戦。
そして、物議を醸した、ポーランド戦でのパス回し…。
2点リードで、ベスト8の夢を見せてくれた、ベルギー戦。
色々とあったが、全体を通して、素晴らしい試合を見せてもらえた。個人的には、やはり本田の活躍は見ていて心が躍るものがあった。
https://russia2018.yahoo.co.jp/column/detail/201806250002-spnavi/
フランスの勝因?
既に指摘されているところではあるが、フランスの躍進には「移民」の力が大きいとされる。19歳のエムバペをはじめ、代表メンバーの多くが、ルーツをフランスの外にもっている。このツイートがそれを物語っている。
France just won the #WorldCup, but so did Cameroon, Angola, Nigeria, the DRC, Mali, and Guinea and Senegal.
— The Undefeated (@TheUndefeated) 2018年7月15日
The Cup may have never before belonged to so much of the world. pic.twitter.com/FfIB2snhUY
それから、ベルギーについてもそれがあてはまるだろう。
メンバーの出生地は23人全員がベルギーだが、ルーツはさまざまだ。半数近くがアフリカなどからの移民の子。人口約1100万人で労働力確保のため移民を多く受け入れており、地元紙によると非欧州連合(EU)移民は12%。1世とその子供が溶け込み、サッカー界でも台頭している。
多様性が両チームの躍進の鍵となったのは間違いないだろう。
感動の1ヵ月間
https://www.footballchannel.jp/2018/07/16/post281714/
冒頭のマクロン大統領とは大違いで…モドリッチに笑顔はなかった。
彼としてはなんとしても優勝したかっただけに無念だったろう。今大会の盛り上がりの最大の要因は、クロアチアの健闘だったろう。
いろいろな波乱もあり、ドラマもあり、感動に沸いた1か月間。
おかげで楽しい時間を過ごせたことを、感謝したい。
さあ、日常に戻りましょう!笑
クロアチア飛躍の影に……ユーゴ紛争とワールドカップ
大躍進のクロアチア。決勝を明日に控えて、注目されているのは、クロアチア代表のキャプテン、モドリッチ。今大会では、ユーゴ紛争に関連する話が話題に。
ユーゴ紛争とは?
1991年から99年あたりにかけて、ユーゴスラビア連邦からの分離独立、および国内での自治政府の対立をめぐっての紛争をさす。
経緯を全て書くことはできないが、もともと1つの国のなかに、多くの民族が共存しており、
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、そして1つの国家」
という有名な言葉があるくらいである。
そんなバラバラな状態でも、ティトーという偉大な大統領の下で、戦後しばらくはまとまっており、順調な国家運営がなされていた。
しかし、彼の死後、各地で民族主義が台頭し、独立、自治などをめぐって紛争となる。
1991年には、スロベニア、クロアチア、マケドニア、1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言を行い、内戦に突入。
ロシアやアメリカ、ヨーロッパなど、周辺国が介入することでさらに複雑に、そして紛争は泥沼化…。
戦火でのモドリッチ
まさにその戦火のクロアチア、誕生したのがモドリッチだったのである。関連してこちらのツイートが話題に。
When he was 6, his granddad was shot dead.
— Rosie on the way (@rosieontheway) 2018年7月11日
His family became refugees, in a warzone.
He grew up to the sound of grenades exploding.
Coaches said he was too weak and too shy to play football.
Today, Luka Modric just led Croatia its first ever #WorldCup final.#CROENG pic.twitter.com/gd4PcWid6O
6歳の時に、祖父が殺され、家族は戦争で難民となり、手りゅう弾の音を聞きながら育ち、コーチはサッカー選手になるには弱すぎると言い、そして、モドリッチはクロアチアをワールドカップの決勝へと導いた。
1985年、モドリッチが生まれたのは旧ユーゴスラビア(現クロアチア)のザダル郊外、モドリッチ村だった。
ユーゴ紛争が始まった1991年、彼の生まれた小さな村はセルビア軍の標的になった。スペインで2012年に放送されたドキュメンタリーによると、当時も生家周辺には、地雷が埋まっていることを示す標識があったという
6歳で難民となったモドリッチは、家族とともにザダルのホテルで暮らした。ホテルの駐車場で、一日中サッカーをして暮らしたモドリッチ少年。
いかにして、彼がクロアチア代表としてプレーをしているかを垣間見ることができる。
コソボとスイス
さらに、もう一つ話題になったのが、セルビアとスイスの予選リーグでのこと。“双頭鷲ポーズ”といわれるこのジェスチャーが物議を醸した。
Kosovo, Albania collect money for fined Swiss players - Elections 2017
スイス代表のなかには、アルバニア系が多くいる。アルバニア系住民もまた、ユーゴ紛争の被害者であり、多くの住民がセルビア軍の攻撃を受けた。そしてそこから多くの人が、スイスに逃れたからである。
この試合でゴールを決めたジャカとシャキリも、アルバニア系で、コソボを支持するアルバニア国旗を意味するジェスチャーをしたものとみられる。
というわけで
紛争からもう20年以上がたったにもかかわらず、ワールドカップを機にうかがえるユーゴ紛争。そんな事情を知っているひとは、「クロアチアを応援したい!」という人も結構みかけます。
はてさて、フランスが意地をみせるか、クロアチアが悲願の初優勝なるか、注目の一戦は15日の深夜24時から。