クロアチア飛躍の影に……ユーゴ紛争とワールドカップ
大躍進のクロアチア。決勝を明日に控えて、注目されているのは、クロアチア代表のキャプテン、モドリッチ。今大会では、ユーゴ紛争に関連する話が話題に。
ユーゴ紛争とは?
1991年から99年あたりにかけて、ユーゴスラビア連邦からの分離独立、および国内での自治政府の対立をめぐっての紛争をさす。
経緯を全て書くことはできないが、もともと1つの国のなかに、多くの民族が共存しており、
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、そして1つの国家」
という有名な言葉があるくらいである。
そんなバラバラな状態でも、ティトーという偉大な大統領の下で、戦後しばらくはまとまっており、順調な国家運営がなされていた。
しかし、彼の死後、各地で民族主義が台頭し、独立、自治などをめぐって紛争となる。
1991年には、スロベニア、クロアチア、マケドニア、1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言を行い、内戦に突入。
ロシアやアメリカ、ヨーロッパなど、周辺国が介入することでさらに複雑に、そして紛争は泥沼化…。
戦火でのモドリッチ
まさにその戦火のクロアチア、誕生したのがモドリッチだったのである。関連してこちらのツイートが話題に。
When he was 6, his granddad was shot dead.
— Rosie on the way (@rosieontheway) 2018年7月11日
His family became refugees, in a warzone.
He grew up to the sound of grenades exploding.
Coaches said he was too weak and too shy to play football.
Today, Luka Modric just led Croatia its first ever #WorldCup final.#CROENG pic.twitter.com/gd4PcWid6O
6歳の時に、祖父が殺され、家族は戦争で難民となり、手りゅう弾の音を聞きながら育ち、コーチはサッカー選手になるには弱すぎると言い、そして、モドリッチはクロアチアをワールドカップの決勝へと導いた。
1985年、モドリッチが生まれたのは旧ユーゴスラビア(現クロアチア)のザダル郊外、モドリッチ村だった。
ユーゴ紛争が始まった1991年、彼の生まれた小さな村はセルビア軍の標的になった。スペインで2012年に放送されたドキュメンタリーによると、当時も生家周辺には、地雷が埋まっていることを示す標識があったという
6歳で難民となったモドリッチは、家族とともにザダルのホテルで暮らした。ホテルの駐車場で、一日中サッカーをして暮らしたモドリッチ少年。
いかにして、彼がクロアチア代表としてプレーをしているかを垣間見ることができる。
コソボとスイス
さらに、もう一つ話題になったのが、セルビアとスイスの予選リーグでのこと。“双頭鷲ポーズ”といわれるこのジェスチャーが物議を醸した。
Kosovo, Albania collect money for fined Swiss players - Elections 2017
スイス代表のなかには、アルバニア系が多くいる。アルバニア系住民もまた、ユーゴ紛争の被害者であり、多くの住民がセルビア軍の攻撃を受けた。そしてそこから多くの人が、スイスに逃れたからである。
この試合でゴールを決めたジャカとシャキリも、アルバニア系で、コソボを支持するアルバニア国旗を意味するジェスチャーをしたものとみられる。
というわけで
紛争からもう20年以上がたったにもかかわらず、ワールドカップを機にうかがえるユーゴ紛争。そんな事情を知っているひとは、「クロアチアを応援したい!」という人も結構みかけます。
はてさて、フランスが意地をみせるか、クロアチアが悲願の初優勝なるか、注目の一戦は15日の深夜24時から。